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女性社長インタビュー

業歴5年以上の方をメインに、会社員時代のキャリアや独自のアイデアを活かしているスタートアップの方まで。
企業の裏話や事業継続の秘訣などを伺っています。

ビジネスは人対人。<br/>血の通う関係が道を拓く!
Interview vol.94

ビジネスは人対人。
血の通う関係が道を拓く!

株式会社ウィステリア 藤代愛子さん

静岡県生まれ。短大卒業後、4年間宝飾販売を経験。語学に目覚め、カナダ・バンクーバーで語学学校に通いながらマーケティングを勉強。25歳で帰国後、地元浜松でスズキ㈱に勤務。その後上京。リンク・インターナショナル(現:リンク・セオリー)、エターナルへ転職。在職中、アメリカのバッグメーカー、ホワイティング&デイビスの販売権を譲渡され、個人で正規代理店となったのを機に2008年10月、株式会社ウィステリア設立。大手百貨店・セレクトショップ他、『家庭画報』通販で販売。趣味は街や人のトレンドウォッチング。電車の中はショーケース、もったいなくて居眠りができないのだとか。3歳男児の母。

ビジネスは人対人。血の通う関係が道を拓く!

アパレル会社で婦人服の営業をしていた藤代さん。営業として取引先の百貨店で交渉の面白さに目覚めた。相手の懐に入って仲良くなり、行く先々で縁を育み、その後につながるルートと販路を開拓してきた。取引先とも「血の通ったつきあいがしたい」と語る藤代さんに百貨店との取引事情や今後の展開について伺った。

アパレルの営業で自分の適性に開眼。一生の仕事にと決意。

「どうせ必死で働くなら好きなことで頑張りたい」。26歳で東京に出てきた藤代さん。まだ創成期のアパレルメーカー、リンク・インターナショナル(現:リンク・セオリー)に入社した。配属は社長秘書。ところが大雑把で失敗は数知れず、百貨店の店舗運営や仕入れ・商品構成に関わる部署に異動した。当時のリンク・インターナショナルは上場を目指し破竹の勢い。人手が足りなければ店舗のヘルプに行き、担当者に代わり店側と交渉もした。時々百貨店の担当者から片隅に呼びだされ「品揃えと売れ筋商品の少なさ」の説教を受ける一方、後日「あなたも大変だね」と謝られたりする中で立場による責任の違いを知り、今までの営業に対するイメージを一変。文句だらけの自分を反省し本腰を入れて働くようになった。
職域にとらわれず、度胸とフットワークの軽さで什器の企画からバイイングまでマルチプレーヤー的に経験を積むことができたが、会社が大きくなるにつれ意見は出せても以前のように言いたいことが言えなくなり、窮屈さを感じるようになっていた頃、会社規模1/10のバッグ輸入販売のエターナルに営業部長として転職。紆余曲折を経てアパレル業界に身を埋めると決意したのもこの頃だった。

思いがけず独立。百貨店で実績を作りつつ、セレクトショップも開拓

転職したものの担当ブランドは赤字続き。思い余ってあるブランドの取引停止を社長に直言すると、すんなりと意見は通ったが撤退手続きは一手に藤代さんの肩にかかってきた。百貨店に謝り、人員も解雇。一息ついた次の任務は、アメリカのブランド、ホワイティング&デイビスの売却先探しだった。ブランドとは良好な関係が続いていたし、卸しも百貨店1店舗のみ。「私がやろうかな」と思っていたら、話は急展開。在庫を引き取ることで話がつき独立、驚くことにタダで権利譲渡を受けた。不思議と不安はなく、社長秘書時代のつてを頼りに数人の社長に意見を求めたが反対はされなかった。代々木に本社を構え、前社で営業だった後輩と派遣スタッフの3名体制でスタート。叱られながらもいつしか太いパイプとなっていた百貨店のコネをフルに使い、創業1~2年は期間限定ショップでも迷わず出店し実績を作った。

さらに、大手セレクトショップも開拓。トレンドに左右されるセレクトショップは、店の商品構成をいかに把握して提案できるかが勝負。営業前は下見をして、入念な作戦を練る。一方、百貨店は年に一度異動があるが一度仲良くなると異動後も関係は続き、他店舗を紹介してくれるなど人間味のあるつきあいが広がっていった。

社長は孤独。けれど強がらず弱みを見せ、昔の仲間はブレーン

創業時の慌ただしさが収まると不安やストレスがたまり、藤代さんは猛烈な孤独感に襲われた。「誰彼構わずぶちまけたい」衝動に駆られたが、社長という立場上相手は選ばねばならない。会社役員に名を連ねる父親にこぼすと「弱音を吐くなら破産しろ」の一言。「誰にも言えない」。売り上げや経費のことなど金銭がらみのことも胸にしまいこんで悶々とする日々。ある日とうとうたまりかねて従業員に打ち明けると思いのほかすんなり受け止めてもらえ、肩の力が抜けた。事情を知った父親からも「一人で抱え込むな」とアドバイスをうけ、考えすぎていた自分を反省。以来、弱みは全面開示し、人の意見を求めることに躊躇しなくなった。
多方面で活躍するセオリー時代の同僚たちが今ではかけがえのないブレーンとなり、折に触れ相談を投げかける。それでも社長として一人で判断しなければならないときが増えた。そんな時、元上司であり影響を受けた二人の社長を思い浮かべる。正反対のタイプではあったが「あの社長だったらどう対処するだろうか」。自ずと答えが浮かび前向きな気持ちになれる。部下の気持ちを一瞬で掴みやる気にさせてしまう術や、最後まで諦めない粘り強い交渉など二人の教えはいつの間にか身について藤代さんの礎になっている。

伸び悩みは人の手を借り、ターゲットを絞って販売していく

現在は卸の他、実店舗とネットで販売する。自己流で立ち上げたサイトが行き詰まった際、商工会や中小企業振興公社の支援を受け、コンサルタントを無料派遣してもらった。専門家による鋭い指摘に変えるべき点を改めると数字が伸びた。中小企業診断士による分析では“ブランド代理店、ネットワーク網、審美眼”が強みと診断され、背中を押された。全てが一気に解決したわけではないが、小さな会社こそ煮詰まったら、借りられる手は積極的に借り突破口を探す。
今後、百貨店営業は取引先を絞る方向で考えている。業者といえど取引は人対人。大手も小規模業者も分け隔てなく付き合ってくれる百貨店と、血の通ったつきあいをしたくなったから。消費行動の変化により店舗で品物を確認し買うのはネットという昨今、購買意欲の高い5~60代にターゲットを絞った『家庭画報』通販での取引も始め順調に売れているのはよい誤算だった。
3年前に出産した藤代さん。自宅近くにオフィスを移転、通勤の短縮化を図った。出産を機に仕事のオンオフをつけ土日は休むようにし、時には百貨店の偵察やオフィスに子連れで行くこともある。一緒の時間を増やすだけでなく「子育て中の私も私の一部」とあえて見せてしまうことにした。その分、部下にも子供にも恥ずかしくない仕事をしなければと肝に銘じている。