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女性社長インタビュー

業歴5年以上の方をメインに、会社員時代のキャリアや独自のアイデアを活かしているスタートアップの方まで。
企業の裏話や事業継続の秘訣などを伺っています。

PTA会長として学校を立て直しながら、<br/>おからで15年会社を続けてきた
Interview vol.58

PTA会長として学校を立て直しながら、
おからで15年会社を続けてきた

カイラスコーポレーション 宮田真理さん

http://www.kailas.co.jp/

立命館大学哲学科を卒業後、東京でテレビ製作会社に就職。1年後フリーになり、イベント映像やビデオパッケージの制作に約3年間携わる。1997年、有限会社を設立し、貿易に挑戦するが断念。新聞で見つけた乾燥おからの販売を開始。生協や自然食料品店ナチュラルハウスに卸す。今年で15期目。2010年2月、癒しの空間「虹の小屋」を整体の勉強会で出会ったメンバーと共に立ち上げる。現在45歳。

PTA会長として学校を立て直しながら、おからで15年会社を続けてきた宮田さん

テレビ制作会社など激務をこなす中で、人間らしい生活を意識した宮田さん。15年前、有限会社を設立し、乾燥おからと出会う。荒れていた子どもの学校をPTA会長として立て直す一方で会社経営も順調に進めていった経緯、一年前に始めたヒーリングルームや今後の目標などたくさんのお話を伺った。

迷いながら辿り着いた乾燥おから。苦手を克服するため営業に挑む

人間らしい生活、家庭を支え育児をする女性としての人生を意識した宮田さんは、仕事を辞め、飯能に移り出産。近隣で働きたいと思うものの、当時、子どもを預けて働ける環境がほとんどなかった。未発達な保育事業を夫と共に整備したいと思うが、夫にはその気が無く、育児と仕事を両立するには自分で事業を始めるしかないと、1997年に有限会社を設立。貿易、電話回線販売に着目するが断念。自分の納得する商品を探すアンテナを立て始めた。そんな時、近隣の豆腐工場の乾燥おからの新聞記事を読み、これだと思った。すぐに訪ねると、首都圏コープ事業連合のみに卸しているというため、新しい販路の開拓を決める。
最初は自宅の一室を改装して、一人で、仕入れたおからを個包装する充填(じゅうてん)作業などを開始した。パッケージや脱酸素剤の考案で、製品の賞味期限も3ヶ月から1年にし、豆腐工場の製品と差別化を図った。豆腐工場は1年後、バブルの余波で倒産する。
人見知りの宮田さんは苦手を克服するために営業から始めた。首都圏コープ事業連合とは系列が異なる日本生協連合で、最大手のコープこうべ、2番手のコープさっぽろを回る。通常とびこみはほとんど無理だが、運よく女性バイヤーの計らいで共同購入向けの取扱いが決まり、その実績や組合員の口コミをもとに全国の生協へと広げていった。

新事業に挑戦するもSTOP。やっぱり家庭、育児を大切にしたい

起業して5年、オリジン東秀に卸していた縁で給食用の取引が決まる。お菓子の材料などで量は少ないが、定期的に納入している。最初は全工程、外注にする予定だったが、安定した質を求めることは難しく、倒産する会社もいくつもあった。取引先の工場に充填機を譲ってもらい、起業後6年で広い工場を借り、スタッフも雇い始めた。
現在スタッフは5名。普段は友達だが、会社で会うと社長の顔になる。以前は時間もフレキシブルにしていたが、皆がフリーで働いていた自分と同じように時間や仕事内容を管理できる訳ではないことを知る。規則は嫌いだが、プロ意識を持つよう時間やルールを決めた。
起業後4年目に、50代の女性社長と出会い、冷凍のおからハンバーグの販売に動く。その社長は大手スーパーや生協のトップにも顔がきき、無添加で上質な試作品も完成していた。しかし、Goが出る直前、はたと立ち止まる。家庭や育児が満足のいくようにできなかった寂しさをもつ女性社長の姿が自分の何十年後に思えた。ビジネスはダイナミックでゲームみたいに面白くやりがいも感じていたが、自分は何のために前の仕事を辞めたのか。その想いを後押しするように工場や取引先と連絡が取れなくなり、ストップがかかっていると感じ、おからハンバーグの販売を中止する。


黒字を維持しつつPTA会長として学校の立て直しに燃えまくる

ハンバーグの販売を中止すると暇になった。一方で、子どもの授業参観で頭痛。学校嫌いのトラウマを思い出す。会社でも一匹狼、人とやるのは苦手だった。チームワークを学ばなくては!苦手を克服しようとする宮田さんの心にまた火がついた。
子どもが通う児童クラブの会長を1年経験後、どえらい世界といわれるPTAをみてみたいと役員になる。教師の逮捕など多くの問題が起きていた学校で、学校を立て直そうという多くの善意が形にならないもどかしさを感じた。柱があればそこに集まり想いを形にできるのではと会長に就任。起業して7年、会社は順調だった。
同志の校長と学校の沈静化に燃えまくり、典型的な女性への苦手意識も克服、チームプレーも身に付けた。エリート会社員の男性を「会社では経験できないものが得られるから!」とPTAに引きずり込む。学校の運営に4年携わり、学校や役所のことをよく知ることができた。子どもと同じ場所で自己実現できることがとても嬉しかった。
日に一度は会社に顔を出すもののケアに時間をかけることもできず、1~2ヶ月に一度受けていた生協の注文が6ヶ月止まっていたこともある。しかし、担当者の変更や紙面の掲載状況のチェックなど、ポイントは押さえ、黒字を維持し続けた。PTAは収入にはならないけれど、おからが稼いでくれた。

癒しの空間「虹の小屋」、犬用クッキー、新しいことに挑戦し続けたい

今年、2人の子どもが高校生になり、いよいよ自分の時間ができた。2010年、整体の勉強で知り合った仲間と、会社の向かいに癒しの空間「虹の小屋」を立ち上げる。経営は宮田さんが主に担当。会社でも2台目の充填機を購入し、作業効率が飛躍的に上昇。週に3時間の稼動で1000ピースをまかなえるようになった。
ジェットコースターのような人生だったが、学べることが楽しく大変だと思ったことは無い。「人間らしい生活」という原点に何度も立ち戻りながら、仕事がおまけのような時もあったが、緻密な性分なためポイントはしっかり押さてやってきたからこそ会社を15年続けて来られたのだと思う。この間に多くの取引先が倒産してしまった。飽きっぽい自分が15年も一つのことに取り組んだことに驚きを感じながら、しばらくはおからで頑張っていこうと思う。おからは私の名刺だと宮田さんは話す。
不況、大手スーパーの参入など生協の共同購入が減少する今、事業転換の必要性を感じる。個人顧客は単価が安いため手間と利益を考えると厳しいが、今後は既成の枠や採算にとらわれずに、やりたいことを楽しんでやってみたいと思っている。現在、作業所で作るクッキーの材料におからを卸している。手間はかかるし割には合わないが、作業員の仕事がつくれて収入にもつながることが嬉しい。今後は、そのクッキーをHPで販売したり、犬用クッキーにも挑戦したい。また、時代に合った新しいおからの食べ方も提案していきたいと考えている。新しい展開へ向け、現在HPリニューアルの真っ只中。本を買って独学でHP制作に格闘中とのこと。

(インタビュー&ライティング 杉田屋 まりえ)