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女性社長インタビュー

業歴5年以上の方をメインに、会社員時代のキャリアや独自のアイデアを活かしているスタートアップの方まで。
企業の裏話や事業継続の秘訣などを伺っています。

「海外」に14歳で飛び出し、<br/>シンガポールで起業の国際派
Interview vol.39【後編】

「海外」に14歳で飛び出し、
シンガポールで起業の国際派

プライムサーチインターナショナル  川村千秋さん

http://www.prime-business.biz/

1963年 静岡県生まれ。高校時代に米国へ交換留学後、明治大学政経学部卒業後、東京にて外資系投資銀行に9年間勤務。1996年にシンガポール移住し、シンガポールに本社を置く医療サービス会社にてアジア太平洋地区9ヶ国のマーケティングに従事した後、アジア最大規模のヘッドハンティング会社HRネットワンに入社。リージョナルディレクターとしてシンガポール本社に3年半勤務した後、同社の東京支社に2年間勤務。日本および欧米企業の管理職ポジションの採用を専門に手掛ける。 2006年11月、シンガポールにてプライムサーチインターナショナルを設立。

「海外」に14歳で飛び出し、シンガポールで起業の国際派

前編では、ブティック形式の人材サーチ会社として活躍するプライムサーチでの事業とシンガポール事情を中心にお話しを伺った。 後編では、川村さんの中学で初海外研修をきっかけに海外へ飛び出し、20年のキャリアを経てシンガポールで起業に至る軌跡、今後の夢を語っていただいた。

親を説得し、海外に飛び出た10代。「踏み出す勇気」が大事。

中学3年の夏に3週間カリフォルニアのホームステイ研修に参加をしたのが転機です。3週間、お客様扱いで社会見学をさせてもらい楽しい記憶のみ。サンフランシスコ郊外の想像通りのアメリカに魅せられ、帰国後は絶対アメリカ留学をしようと狂ったように英語の勉強をしました。両親を説得して試験に合格し、高校3年の1年間、NY(ニューヨーク)・マンハッタンから2時間の田舎の公立高校に交換留学。でも、中学時代に訪問したカリフォルニア研修とは違ったんです。「お客様ではない。勉強はついていけない。田舎で脱出場所がない。」逃げ場もなく必死で勉強しました。そして日本との違いはテスト評価だけじゃないこと。日々の授業で意見を出さないと評点も低くなってしまう。授業についていくのが大変でした。アメリカの学生は皆よく勉強をしました。奨学金の為、もしくは大学の学費稼ぎの為アルバイトも。シンガポールも同じです。12年前のシンガポールには国立大が1校。人口の数%しか行けない狭き門。働きながら海外大学を通信制で卒業する人が本当に多い。
私は高校時代に、目的を持って人生に向かうこと、そのためには時として周囲を説得してでも「踏み出す勇気」を持たねばならないこと、ハングリー精神、発言の大切さを学びました。帰国後、大学進学し外資系企業に入社しました。

上昇志向を持ってキャリアを積んだ社会人生活。シンガポールも自ら活路を。

新卒一期生として入社した外資系企業では当初、正直腰かけのつもりでした。2年働いたらアメリカの大学院進学!と考えていたので・・・。でも仕事は非常に刺激的で面白かったのでとことんキャリアを9年積みました。仕事は、機関投資家向け外国債券のセールス。海外マーケットで多くの経験をさせてもらいました。海外出張で魅せられたのがアジア市場。東南アジアは遅れていると思っていたんですが、シンガポールと香港は非常に発展していて驚きました。シンガポールの金融街はモダンで多民族の国際都市。退職のきっかけはドイツの統合により債券が暴落したことです。マーケットの混乱は不可抗力でどうにもならない現実に直面し転職を決意しました。香港も視野に入れたのですが、中国返還前で先が見えないためシンガポールに絞って転職活動を実施。二度目の「踏み出す勇気」ですね。
業界にはこだわらず金融で培った「無形商材(サービス)の企画提案営業」ができることを売りに、医療系サービス会社のセールスマネージャーの職に就きました。4年目には、シンガポール本社のシニアマーケティングマネジャー(部門トップ)と日本拠点のトップ兼任に昇りつめ、日本への転勤辞令を機会にお声をかけていただいていたヘッドハンティング会社に縁あって転職しました。

特に起業には興味がなかったんです。人を育てることが好きなプロデューサータイプ。

正直、起業には興味がありませんでした。本来、プロデューサー志向で大きな組織でやりがいを見出すタイプ。30代の頃は上昇志向で、仕事が認められポジションが上がり大きなチームを任されることが面白くて仕方がなかった。単純に給料があがるだけではなく部下を育てることにやりがいを感じていました。しかし、会社の規模がどんどん拡大し昇進して経営管理側に立つと、シンガポールの会社にありがちな数字偏重のマネジメントが見えてきます。結果、もっと価格に見合ったクオリティを提供できる人材サーチを行おうと、独立を決意。2002年にシンガポールでの永住権を獲得しており、また税制面の優遇も考えシンガポールを拠点に起業しました。1年の準備期間を経て、小規模ながらも高いサーチ精度を目的としたブティック形式(前編参照)で現在は仕事をおこなっています。ブティック形式のオーナーは職人タイプで全てをこなします。自分の本来のプロデューサー気質は、転職候補者の方々に育っていただくことで現在活かしています。
シンガポールは就職先としても、企業の海外進出にもオススメですね。英語圏で、治安がよく、税金が安い。小規模なマーケットではありますが生活水準やビジネスのインフラも周辺諸国に比べると格段に高いし、アジア進出の足がかりに非常によいと思います。

引退前になしと遂げたいことがある!3つのチャレンジを実行中です。

おばあちゃんになった頃の夢は、海の見える家で犬を飼って暮らすことです。それまでにやりたいことが3つあるんです。
1つ目は、人材サーチビジネスをお客様にとっても求職者にとってももっと質のいいものにすること。今は人材紹介会社はどこも同じようなものだと思われていると思いますが、その中で明確な差別化を打ち出し、マーケットの中での当社の立ち位置をはっきりさせたい。2つ目は、本の出版。本といっても、企業小説。昔から書くことが好きで最終的に商業出版をしたいと思っています。海外に出てビジネスで活躍奮闘している日本人を主人公にしており、すでに構想はまとまっています。3月までに書き上げる目標を掲げています。3つ目は、社会貢献。日本駐在の際も今も捨て犬の保護活動のボランティアに関わっています。事業で成功をした際でも、自分のライフワークとなる活動をすることが大切だと思います。単純に自分の会社の利益だけでなく、一見関係のないところでも社会に還元をしていきたいですね。
時間は有限です。自分の生きる道をしっかり見定め優先順位を決めて踏み出すことが大事だと思います。私も多くの踏み出す経験をしてきました。自分の決断を尊重してくれた両親に非常に感謝しています。そして、多くの方々の踏み出す勇気を応援していきたいと思います。