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女性社長インタビュー

業歴5年以上の方をメインに、会社員時代のキャリアや独自のアイデアを活かしているスタートアップの方まで。
企業の裏話や事業継続の秘訣などを伺っています。

高校時代から「社長」を視野に。<br/>20代で「ピアスキャッチ」起業の軌跡。
Interview vol.40【前編】

高校時代から「社長」を視野に。
20代で「ピアスキャッチ」起業の軌跡。

株式会社Chrysmela 菊永 英里さん

http://www.chrysmela.com/

1981年生まれ。幼少期を海外で過ごす。2003年大学卒業後、株式会社テレウェイヴ入社。 ソリューション事業部にて、ITソリューション販売、役員秘書、 新規事業立ち上げに従事する。2005年 クリスメラキャッチの開発を開始し、同社を退職後、2007年7月 株式会社Chrysmela設立。代表取締役に就任する。

高校時代から「社長」を視野に。20代で「ピアスキャッチ」起業の軌跡。

元気な20代女性社長の一人。菊永さんは3年間の研究を重ね、アイデア商品「外れない」ピアスキャッチで起業。祖母から引き継いだ「着物」をトレードマークに走り回る菊永さんの高校時代からの夢は、「社長」。そんな彼女のビジネスをする為に積み重ねた努力を前編では中心に紹介したい。

高校時代に学んだ商売感覚と限界。

初めて「商売」を経験したのは高校2年生。月5000円のお小遣いでは足りず、アルバイトをしたいと親に相談したら「危ないご時世だから」と反対をされたんです。
そんな時、近所の雑貨屋で「内職募集」の張り紙を発見。アクセサリー作りの経験はありませんでしたが昔からモノ作りが好きだし、家でできる仕事なので「これだ!」と思って応募しました。とはいえ、アクセサリー一個を作って50円(笑)。難しいものだと1時間ほどかかります。徐々に作業の効率化を図って稼ぎを上げましたが、内職では月5万円の収入が限度でした。ざっと時給300円ですね。そのころ、作り方も覚えてきて、オリジナルデザインで作ったものを母親にあげていたら、当時住んでいた社宅でちょっと評判になり、お客さんがつきはじめました。その時、お客さんは20人ぐらいでしたが、お小遣い稼ぎには十分。「他より安くてかわいければ、買ってもらえる。」と自信もつき、他社との差別化を考える癖がつきました。ご近所だけでなく、原宿の路面で高校の友人とお店を広げたこともあるんです。遊びの延長でしたが、「商売っておもしろい!」と強く思ったのを覚えています。この経験が漠然と将来を考え始めたきっかけです。

ビジネスの先生は父。

高校時代にアクセサリー販売をしていた頃、「仕事にしたらどうなんだろう?」と思い、父に話をしてみたら、「これは君の1時間はいくらかという考えを超えられない仕事だよ」と言われたんです。この返事はとても衝撃的でした。そのころから、1時間当たりの生産性を超えるビジネスとはなんだろう?と考え始めました。
昔から父は無口な人で、寡黙な父となんとかコミュニケーションをとろうとなんでも質問をし、父が答えてくれることで会話をしていました。5歳くらいのホームビデオを見ると、質問攻めにしている私がいます(笑)。今でも、何でも答えてくれる父は尊敬しています。最初のプランを却下されてからはいろんなビジネスプランを考えては父に話すことが私の趣味になりました。父は、多くの事業計画書を見る仕事をしていたので的確な指摘をたくさんしてくれました。「お客様は誰?」「どうやって売るの?」「売値はいくらなの?」と…。私は事業計画書の作り方を知りませんでしたが、父から質問を受けるたび自然にビジネスプランの作り方が身についたと思います。高校時代で3つ、大学時代は10くらいのプランを見てもらいましたが、ひとつもOKが出ませんでした。実際、たいしたプランはなかったんですけど。この経験を通して高校時代から自然と「将来は社長になるんだ」と思っていました。

バンド活動で引っ込み思案解消のリハビリ?

小さい頃、私は非常に無口な子供だったので、「このままではいけない」と大学入学時にバンドサークルに入りました。人前に立てないようでは、社長になれない。引っ込み思案を克服するために、バンドをやろう!と思って。いわば、リハビリです(笑)。人と話す訓練というと、ディベートサークルという選択もあるでしょうが、人と戦うことが嫌いなのと、苦手は楽しく克服したいですからね(笑)。やっているうちにリハビリの枠を超えて、のめりこんでしまって。大学時代はバンドサークル三昧。あとはバイト(笑)。結果的に大学時代に歌で仕事ももらったことがあります。年1回、サークルでCD制作をするんですが、その歌を聴いてオファーを頂きました。ジャンルはなんと「童謡」。そこで、お仕事として求められているクオリティを提供する難しさを知りました。今でも姪が聴いて歌っていますが、かなり恥ずかしいですね。
自分の歌の限界を知り、その後、ライブイベントの企画をし始めたら楽しくなってしまって。サークルの仲間とイベントで事業ができるんじゃないか!と動いたりもしたんですが、就職活動時期に「会社経営するなら、会社を知らないといけない」と思ってまずは就職の道を選びました。3年勤めて起業しようと。だから短期間で力をつけられる会社にと、テレウェイヴに就職を決めました。

3年で独立!と決めての社会人生活。

テレウェイヴには78人の同期とともに入社。営業・役員秘書・新規事業の立ち上げを3年半経験しました。最初の配属は営業。営業3ヶ月で、自分には営業が向いていないと知りました。少しは克服できたにしろ、人と話すのが得意ではないので。でも、このままでは自分は3年内で独立できない。そこで新卒の自分が経営陣に一番近づける場所にと役員秘書に異動しようと決めました。が、役員秘書はポストなし。そこで営業部長が将来の役員候補だ!と思い部長について回りました。「役員になるには秘書が必要です」って。毎日毎日ついて回るものだから結果的に上司が折れて、秘書にしてもらい、その半年後、その方は役員に昇進しました。
役員秘書時代は、とにかく社長や役員が周囲にいるので経営の勉強になりました。「仕事には儲かる匂いがある。20代のうちにその匂いを覚えろ!」と当時の上司によく言われました。忙しい社長と話をするために朝の仕事時間外に待ち伏せしては、最近読んだ本や、夢のかなえ方、ビジネスの考え方を教えていただきました。実は、今の「はずれにくいピアスキャッチ事業」のプランは最初社長に聞いてもらいました。そしたら、「よし!がんばれ!」って。社長の応援もあり、会社員をしながらはずれないピアスキャッチの研究開発を早々に始めました。


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