fbpx

女性社長.net

  • メール
  • facebook
  • twitter
  • Ameba

限定情報をメルマガで定期入手!

女性社長インタビュー

業歴5年以上の方をメインに、会社員時代のキャリアや独自のアイデアを活かしているスタートアップの方まで。
企業の裏話や事業継続の秘訣などを伺っています。

成長する国、中国(上海)で起業。
Interview vol.21【前編】

成長する国、中国(上海)で起業。

アクシス・クリエーション 田中延枝さん

http://www.axis-creation.com/

1973年、東京生まれ。1998年メルボルン工科大学卒業。 帰国後、工業デザイン事務所、香港系の雑貨メーカーに勤務。退職後、単身中国へ渡り、現地で知り合った中国人パートナーと共にアクシス・クリエーション上海を設立。3次元CG制作をメインとしたクリエイティブオフショアビジネスを展開している。

成長する国、中国(上海)で起業。

上海で起業して3年目のアクシスクリエーション田中社長。海外での起業を10代から決意していた田中さんに実際に起業に至るまでの経緯や起業後の苦労についてうかがってきた。前編では、起業前の道のりについてお話いただいた。 ※前後編の2回に分けてお届けします。

19歳からの夢が中国での起業!

上海で起業して約3年が経ちました。10代の頃から中国で起業をすることを夢見て、紆余曲折を重ね、現在は中国人の7歳下の女性を経営パートナーと12名のスタッフ。そして200名を超える外注パートナーとCG制作の仕事をしています。
小さい頃の私は本好き・メカ好きの子供でした。とにかくバイクが好きで、19歳の頃の夢は、「中国でバイクメーカーを創ること」。小さい頃から少し周囲と考え方が変わっていたかもしれません。母の影響が大きかった。 海外を若い頃から知っている母は、とにかく自由に姉妹を育ててくれました。これが普通だからとか周囲がこうしているからという既成概念をあまり植えつけなかったんですね。だから高校も名門校に入学しながら3ヶ月で周囲と合わないからと退学してしまいました。高校中退した後大検を取って美大に進学したのですが、その頃の日本はバブル末期の成熟期であまり夢を感じませんでした。そんな中、テレビで見る中国は本当に活気があった。しかも自転車文化。きっと将来は、自分が好きなバイクが中国で伸びるに違いないと思い込んで夢をみていたんです。成長性のある国で自分が好きなバイクを扱えたら!って。高校中退後、最初に働いたのが中国雑貨店だったこともあり中国には縁を感じています。


母・姉の言葉が人生の岐路に大きな影響

家族からのアドバイスが人生の2度の岐路に影響しています。高校を中退しアルバイトをしながら大検を受け合格したものの、その後の進路について悩んでいた頃、母から「あなた美大に行ったら?」と。そこで大好きなバイクのデザインができればと、美大(短大)でプロダクトデザインを専攻したんです。その頃の夢が中国でのバイクメーカー立ち上げでした。しかし、卒業時期はすでに不景気で就職先がない。いっそ、バイクデザインの本場イタリアに行って勉強しようか。と悩んでいた私に2度目の転機が。
今度はメルボルンで働いている姉からの一言。「海外に行くなら多人種のいるオーストラリアに来れば。」と。どうせ、英語もイタリア語も中国語もできない私。まずはオーストラリアで英語の勉強をし、イタリア人や中国人など世界各国の友達を作りなさい。という姉の言葉でした。なんだか納得してしまったんですね。そこでオーストラリアの工科大学に入学し4年のときを過ごしています。この二人の言葉は本当に大きかった。オーストラリアでは世界を知り、本当に視野が広がりました。家族って身近で本当に私のことを心配してくれている。2人のアドバイスが岐路となったんです。

中国での仕事にむけて一歩ずつ経験を積んだ日本での仕事

オーストラリアで4年間過ごした25歳の頃、日本に帰国。3年日本で経験を積んだら中国で起業するつもりでした。もちろん中国への夢は諦めていません。
工業デザイン事務所に就職し、たまたまバイクメーカーの新規事業提案の仕事に携わったんです。これは大きな経験でした。バイク市場は、発展途上国でも自動車産業が伸びており、しかも環境問題もあり向かい風。今後尻つぼみになる可能性が高いため20年後の新規事業を考えているんです。その時、私のバイクメーカー立ち上げの夢は封印しました(笑)。だって世界的なメーカーが次の事業を考えているんですから。後発の私に勝てるわけがない。
そこで男性中心社会のバイクデザインの仕事から離れ、女性ならではの感性を生かすなら「小物だ!」と。少しでも中国に近づきたくて香港系の雑貨メーカーに転職、そこからノベルティギフト商社に送られ、企画デザイン・設計の仕事をしました。ノベルティギフトは、周期が早い業界なので数をこなすことで経験を積みました。企画・デザイン・設計と経験をしたので中国現地の生産部門を担当したいと希望を出しましたが通らず退職したのが30歳での決断です。もともと3年限定のつもりが5年近く日本で働いていましたから。とにかくキャリアが活かせなくても中国に行くことにしました。