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女性社長インタビュー

業歴5年以上の方をメインに、会社員時代のキャリアや独自のアイデアを活かしているスタートアップの方まで。
企業の裏話や事業継続の秘訣などを伺っています。

起業のチャンスは誰にでもある。<br/>チャレンジの一歩を踏み出したときから<br/>すべてが始まる。
Interview vol.4

起業のチャンスは誰にでもある。
チャレンジの一歩を踏み出したときから
すべてが始まる。

株式会社 アントレサポート 鈴木 友華さん

http://www.entre-support.co.jp/

1971年4月、東京都生まれ。服飾専門学校卒業後の1991年から不動産会社、翌1992年印刷会社でそれぞれ営業と制作関係に従事。 独立後、1995年6月、広告代理業務の「エス・ジェイプランニング」を設立して起業。 さらに1999年には現在の社名に変更し、起業家支援企業の先駆けとなる。

起業のチャンスは誰にでもある。チャレンジの一歩を踏み出したときからすべてが始まる。

「起業は特別な人がするもの、と思われがちですが実はそんなことはありません。必要なのは努力と挑戦に向けて第一歩を踏み出す勇気。それだけです」 ――24歳で独立・起業したときは決算書の存在すら知らなかったが、その後、ゼロから勉強を始めた。設立から10年を経た今、起業家支援ビジネスのパイオニアと呼ばれるまでになった。「私が大切にしたいのはNever Give Upのスピリットのみ」と語るアントレサポートの鈴木友華社長に話を聞いた。

怖いもの知らずとはいえ右も左も分からぬ毎日だった

前身であるエス・ジェイプランニングを設立したのは24歳のとき。1990年代半ばといえば、まだ周りには20歳代前半で起業した女性はいませんでした。女性であるがゆえに信用面や言葉、服装などで誤解されたことが多かったかもしれません。新規の取引先に行けば十人中十人、私を社長だと認識する人はいませんでした。会社設立のための資金はすべて自己資金でまかなえましたので、金融機関にお世話になることはありませんでした。社員は私一人、資本金1000万円をつぎ込んで新宿にあるワンルームマンションの一室がスタートでした。
なにをどうすればいいのかまるで分かりませんでした。個人的に経営学を学んできたわけでもなく、起業を夢に抱いてきたわけでもありません。強いて言えば自分の可能性を試してみたかったのです。もし自分の会社がダメになったら、あらためてどこかに就職しようと考えたこともありました。年が若く、怖いもの知らずだったのでしょうね。経理の“け”の字も知りませんでしたし、小遣い帳ですらそれまでつけたことのなかった人間でした。こんな時期が3年間は続きました。以前の会社のクライアントをそのまま引き継がせていただき、最初の売上高は1000万円ほど。恵まれたスタートでした。

すべては自分の経験から始まった起業家支援事業

2000年にレンタルオフィス業「渋谷サポートオフィス」を開始しました。これが今の会社の原形です。自分の起業経験をもとに、会社を興す人たちのためになにかお手伝いできればと思ったのがそもそものキッカケです。会社を興すといっても、本人にとっては手続きなど分からないことだらけ。けれど、だれが教えてくれるわけでもありません。それなら私がサポートしてあげよう、とビジネス化に踏み切りました。
事業に失敗はつきもの、といいますが、何も知らないために犯してしまう失敗は起業への回り道になってしまいます。アイディアが良くても経験不足から挫折してしまう人だっていました。わずか4年ですが私がこれまで苦労してきた事柄を伝え、起業家の人たちを支援できれば、と考えたわけです。
当時、単なる場所提供のレンタルオフィスビジネスは存在しました。しかし起業に向けたノウハウをソフトとして提供するビジネスは皆無。場所プラス付加価値(ノウハウ)が私のビジネスです。この渋谷の地を選び、当初は40坪のスペースに12室を設けました。小さい部屋で3畳くらい、大きなところでも5畳程度でした。スタートから半年あたりで全室に予約が入り、自分でも驚いたほどです。潜在的にたくさんの方たちが悩んでいたのではないかと思います。

まるで巣立ち行く子どもの姿をみつめる親の心境

当時はベンチャーブーム真っ盛り。ビットバレーという流行語も生まれたほどです。20歳代前半から30歳代まで、IT系のネット企業経営者がほとんどだったかと思います。このときウチのオフィスを使っていただいて私たちと一緒にビジネスを構築した人の中にはあと1年ほどでIPOを実現する人もいます。長い間、事業を一緒に考えたその方たちがここを原点にして、大きく成長されていく様子は本当に涙が出るほどうれしいものです。
その一方で、なんとなく遠い存在になってしまったかなあ、なんて考えるのは子の巣立ちを見送った親のような心境とでも言えばいいのでしょうか。まるで女将ですね。それとともに、同じ夢を抱いてきた「同士」といった感覚もありますので、やはり刺激になります。
ウチのオフィスを利用した、もしくは当社のサービスで取引が生まれた人・企業はこれまで7年間で300人を数えます。女性の方たちもいらっしゃいます。そこから自然にネットワークが生まれていきます。昨年暮れからはそのネットワークを生かしたビジネス構築を進めています。これからはこういった連携をどんどん進めていきたいですね。

2度の窮地を脱して拡大へ。起業のすべてがここで分かる仕組み作りを

今までに2度、危機的な状況がありました。ひとつはこのフロアを買い取ったときのことです。資金が少し足らず、銀行にも掛け合って融資をお願いしたのですが、全く相手にされない。十数行も駆けずり回りましたがダメ。すでに手付金は払ってしまっていたので途方に暮れました。政府系金融機関がOKしてくれて窮地を脱しました。
もうひとつは、会社のステップが上がっていくにつれて、自社のマネージメント業務に手が回らなくなってきたことです。本来であれば、私自身がスタッフに仕事を振り分けていかねばならなかったのですが、そこでつまずいてしまいました。すべて自分でやろうとしてしまうのですね。多くの経営者の方々に相談しました。今はまだまだ未熟ではありますが、それでも悩んだ4、5年前に比べれば、少しはいい上司になれたのかなと思っています。
今後、当面はサービスの拡大と確立を目指します。売上高は2008年3月末決算期で8000万円、2009年3月末で1億円クリアがみえてきました。今までは総務・秘書系が中心でしたが、今後は企画、営業、経理…とビジネスメニューを順次拡大していきます。一つの会社にある “部門”を考えていただければ分かると思いますが、それらの一つひとつが当社のビジネスメニューにもあれば、と考えています。可能な限り会社の引き出しを多く作り、一人でも多くのアントレプレナーを――これが私の願いです。

(取材・文 市川 徹)